柴田礼子のオルフ留学日記
日本の外国語教育


 オルフ研究所に遊びに行き、価値観を崩され、何が何でもオルフ研究所に行きたいと決心した私は、周りを説得し、卒業後に留学する為に、そして何とか入試にパスする為に様々な勉強を始めた。 かつて、中学受験をする時もそうだったが、まわりがしない事をするという事は、少しの優越感と甘さを伴うもので、その時もそんな気持ちがあったように思う。 自分の音大における能力の不足を、そういう形ですり替え、ただ逃げようとしていただけだったのかもしれないが・・・。 でも、どんな事を言われても、無理をしてでも、あの空気の中に身を置きたい、ああいう場所で新しい事をやってみたいと思ったのは事実で、その位、オルフ研究所は私を引きつけていたのだ。 まず、一番の問題はドイツ語だった。 私達のように音大付属では、高校の時から、ドイツ語が授業に組み込まれているのにも関わらず、私はまるでドイツ語がしゃべれなかったのだ。
 初めてオーストリア、ドイツに行ってあまりのひどさに愕然としてしまったのである。 それまでに、少なくても6年はドイツ語を習っていたし、英語に至っては9年も授業を取っていたのである。 改めて日本における外国語教育の問題を感じた。 何の為の外国語教育なのか、様々な人達とコミュニケーションを計る楽しさはどこに存在するのか、きちんと考えていかなければいけない事だよね。 今だからこそ、どんな状況でも、どんな言葉でも自分が話したいと思えば、間違っていようが、ガンガン臆面もなくしゃべるが、かつてドイツ学校でドイツ語を習い始めた頃は、間違ってしゃべるのを極端に恐れ、その傾向はオーストリアに行ってからもずーっと続いてしまったのである。 海外で怒る時は日本語でとよくいわれるが、自分の事を、自分の言いたい事を話したいから言葉が必要なのだと思えるようになってから、とても楽になった。 めちゃくちゃでも何でも楽しく話して相手に伝わったら嬉しいよね。 その嬉しさが次へのモチベーションになるのである。
 しかし、今のオルフ研究所の入試では、私の時とは打って変わって、中級終了程度のドイツ語力が必要になる。でも、私のようにおしゃべりなやつは、どんな言葉でもおしゃべりなやつなのだと、後々、気がつくのであった。
   もどる次へ