柴田礼子のオルフ留学日記

       謝ってしまう訳


様々な思いがけない事の連続で、私は時おりパニックになりながらも、だんだんと今までとは違う文化圏の中で過ごす事に慣れていった。しかし、人間というのはインプットされていない事、あるいは経験していない事に対して、こうも対応できないのかと思う事もしばしばだった・・・。

日本にいた頃、こういう状態が嫌だとか、先生の考え方が理解できないとか、いろいろ思ったものだったが、実際に全く違う場面に直面した時、何も経験がないと、何をどうしていいのか、どう行動したらいいのか、さっぱりわからないものであると実感した。

前回の話しのレッスンでも、急にそんな意見を求められても・・・と焦り巻くった訳であるが、結局、考えていない事を出せるはずもなく、「どういう風に弾きたいかわからない・・・ごめんなさい・・・」と言ってしまったのである。

今なら考えていない事だろうが何だろうが、嘘八百とはいわないまでも、かなり何でも言えるほど鍛えられてはいるが、その当時はそんな事、とんでもないという状況で、それはそれは大変だった。

大体、答えられないからって、何で謝ったりしていたのだろう。でも、できない事に対して、何か先生に申し訳ないというか、いけない事をしているような感じを持ってしまって、あの時はそう言ってしまったのだと思う・・・。

そういう対処方法、皆さんも結構経験があるのでは・・・?これは、向こうの人にしてみれば、悪い事を何もしていないのに、どうして謝るの?というレベルなのである。

わからないというか、自分の意見を持っていない人は、おバカという見方はあるけれど、それはその人の問題であって、その事で自分に迷惑はかかっていないというレベルなのだ。

小さい頃から、自分の意見を持つ事が大切だと、自分の意見を述べる事が大切だと、一人一人違う事が大切なのだと言われて育った人間とそうでない人間の差がこういう所で表れるという訳である。

個人主義というものはそういう所から生まれてきているのだと、そういう場所にいると良くわかるようになる。なので、一人一人の自由もあるけれど、当然一人一人の責任というものも存在する。

だから意見を言わなくて、あるいは言えなくて、人におバカと思われても、それはその人の責任であるというわけ・・・。そういう責任問題をしっかり認識している人達というのは、やたらな所で、謝ったりしないものである。

私なんか、特に最初の頃は、すぐに何でも日本的に謝ってしまっていて、よく友達やら知り合いから、「先に謝ったらダメでしょう?」と叱られていた・・・。

本当に嫌になる位、向こうの人は簡単に謝らないのである。それは自分が間違っているのに、そしてそれを知っているのに謝らないという凄さである。そして最後の最後に仕方なく負けを認めて謝るというパターン。

それはもちろんファジーともいえる日本語ではなく、英語と同じようにイエス・ノーがはっきりしているドイツ語だからかもしれないが・・・。でも、そのお陰で、ドイツ語ではけんかや交渉事がうまくなってしまった私である。

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